ポズナニ案内 建築物



Katedra pod wezwaniem św. Piotra i Pawła 聖ペトロ・聖パウロ大聖堂

ポーランド最古の教会が立っていた場所に、ゴシック様式の大聖堂は建てられました。968年に、ヨルダンがポーランドの最初の司教となり、ポズナンに本拠を置きました。ここにすぐに、おそらく3廊式の石造りの聖堂の形をした最古のポーランドのカトリック教会であった大聖堂の構築が始まりました。それは、何度も再建され、13-14世紀の変わり目に現在の様式になったそうです。

19世紀初頭に、大聖堂は完全に修築され、ポーランドの最初の君主のミェシュコ1世とボレースワフ・フローブルィの黄金堂と名付けられている新しい位牌堂が造られました。ドイツ占領と1945年の戦闘は、大聖堂に大きな被害をもたらしました。戦後、ゴシック様式のファサードが再建され、いろいろなシレジアとヴィエルコポルスカの他の教会からの遺物がそこに持ち込まれました。


Stary rynek i ratusz 旧市街広場と市庁舎

ポズナニ旧市街広場は正方形で、その一辺の長さは約141メートルあります。ここは、ポーランドで三番目に大きい市場でもあり、欧州内でも最大の一つです。中央部に位置するポズナ二旧市庁舎は、13と14世紀の変わり目に建てられた中央ヨーロッパで最も重要なルネサンス様式の建物の一つです。地下には、その時からの交差リブ穹窿(きゅうりゅう)がまだ存在しています。

15世紀には、ゴシック様式の塔の中核が造られました。1550年から1560年にかけて旧市庁舎の根本的改築がされ、1781年と1783年の間にそこは増築されました。1945年まで無傷のままに建っていましたが、戦争の時その上層階は焼失しました。現在、旧市庁舎内はポズナニ市歴史博物館になっています。毎日、正午に中央塔から機械仕掛けの2匹のヤギ(都市のシンボル)が出て、角を突き合わせます。


Fara 教区教会

聖マグダラのマリアと聖スタニスラウス教区教会は、ポーランドにあるローマのバロック美術様式建築を一番素晴らしい形で直接取り入れた例です。16世紀末にポズナニの旧市街にあったゴシック様式の聖スタニスラウス礼拝堂は、新参者のイエズス会に委ねられました。次の世紀の半ばに、ヴィエルコポルスカ県の最も著名な建築家が参加した大規模なカレッジと教会の建設を始め、最終的な形を与えたのはポンピオ・フェラーリです。彼は当教会の玄関と正面外観の装飾および3つの祭壇を設計した人です。第二次世界大戦中にドイツ軍が、教会のすべての装置を破壊しましたが、戦後の復旧作業のおかげで、その元の美しさに戻りました。



Zamek Cesarski 帝国城

本建物は、皇帝ヴィルヘルム2世のための住居として1904-1910年に建設されました。ドイツおよびイタリアのロマネスク様式の歴史的建造物をモデルにして、エディフィスはネオ·ロマネスク様式で建てられました。もともと一番目立ったのは75メートルの時計塔でしたが、戦後の再建の結果、約20メートル低くなりました。

ほとんどの変更はヒトラーのための住居として用意したドイツ人に行われました(ヒトラー本人は一度もそこに泊まったことがありません)。かつての皇帝の礼拝堂には総統の事務所が配置されました。現在、帝国城にはCentrum Kultury Zamek(文化センター「城」)があり、玉座の間の場所に今は劇場があります。また、そこの居間はギャラリーとして使用されています。



パトリク